追加分 最後の砦 よかった!生きていた!
2002年6月2日日記、追加しました。
タイトルを変更しました。
ある「うつ」のサイトで、こころのつぶやきというのがって・・・。なんか嫌。
とくに、そのサイトの文章には、著作権があり・・・云々を呼んでから余計に嫌。
そっからきてんじゃないわよ!といっても、人にとってはどうでもいいこと。
もう、「つぶやき」ではなくなってきているし!
もっと、しっくり来るのが浮かんだので変えました。
日記を書き始めて3ヶ月以上たちました。
その間大事にしていたタイトル。
心の支えにしていた、大切なタイトル。
でも、卒業します!
ありがとう、『心のつぶやき』・・・。
(かぶるのは嫌だったけど、なかなか利用価値ありのサイトでした。まだ、全部は見てないけど。。)
今日は、彼と自然に癒されてきました。
沢登、地元の人とおしゃべり、空から光がまり降りてくるように感じる蛍。
あぁ、私の帰ってくる場所は、こういうところ・・・。
と思ったけど、まだ帰るのは早いわよ!
やる気がいっぱい!
まだ、力みすぎてこけちゃうことが多いけど、頑張る!
寝たきりだったことからは考えられない復活。
でも、忘れてはいけない、“自分”を無視して倒れてしまった過去を。
「もっと、わがままに生きろよ!」周りに言われ続けたこと・・・。
上手に実現できるかしら?
追加
鬱で悩んでいる人の日記で、これから自殺すると書かれた後に動きがなくなってしまった人がいました。
頑張って治そうとしていて、お互いに頑張ろうね?みたいなサイトを作っている人だったから、かなりショックだった。
私自身、安定していたはずなのに、思い出してしまって調子が悪くなった。
こんな自分が励ましても、効果ないかも・・・と思いながら、毎日通った。
あんまり騒ぎすぎても逆効果だと思ったので、ちょっとずつ・・・。
その間、動揺していた私は、相互してくれていたみんなと離れたり、半年ぶりに暴れてしまったりした。
やっぱり、不安定で、まだ難病や精神病の影におびえている私では、何の役にも立たないんだ。もう、この人はほんとに自分の命を絶ってしまったのかも。とあきらめかけてしまっていた。
でも、今日返事があった!
生きていた!
よかった・・・。
内容には、ちょっとおどろしてしまった。パニックになって、大切な人を傷つけ、反撃にあい、自殺を図る・・・。同じだ。
うつで普段の様子からすると、どこにそんなパワーがあるの?ってくらいに暴れてしまう。
普段おとなしく、馬鹿みたいに献身的なだけに、された相手も驚いてパニックになる。手加減なし。
暴れる衝動が去った後、深い悲しみだけが残る。もうだれもいない。私いらない。実行・・・。
落ち着いているときには、とてもじゃないけどそんなことはできない。頭にきても、出来ない。にらむことさえ出来ない。
暴れるというスイッチが入るときは、頑張っていることを否定され、自分を否定され、自らも否定してしまって、絶望を感じてしまったときだ。
これで最後とばかりに、相手に嫌われることをする。
前は、ただただ暴れるだけ。自分がわからなくなる。ただ、衝動だけに駆られて動く“もの”と化す。
だけだったけど、この前のは、訴えることが出来た。彼もわかって、抑えるだけになった。
もう、長い付き合いになる。同棲する前から、すでに半同棲状態だったものね。
長かった。子供にも暴力を振るうのではないかと二人で心配し、責められていたけどそうじゃない。
暴れるからって、言うこときかない子どもに対してではない。私の母のように・・・。
私は母のようになるのが怖かった。「おいで」と手招きしておきながら、うっとうしいと殴る母にはなりたくなかった。
転勤が多く、実家にも遠くて、育児の相談相手のいない母親が陥りやすいものらしい。特に長子に対して。下の子は、上の子のときのが応用できるから・・・。
それを知ったとき、少し楽になった。
母は私を頼りにしていた。
老後はあんたに面倒を見てもらうつもりだから。が口癖のようだった。弟の世話も父が単身赴任となってからは、しなくなっていた。
というより、執着しながらも、向き合おうとしていなかった。いつも間に挟まれた。
家事もせず、仕事から帰ってからは寝てばかりだった。そんな母をみんな責めた。私もその一人だっただろう。
中学のときは、一時私だけ外に出た。高校のときに再び、一緒に住んだ。自炊が出来るようになっていたので、私がご飯を作るようになった。出来合いものばかりだと、子供が荒れるというテレビを見て、やろうと思ったのがきっかけ。その時、弟は登校拒否になりかけていたから・・・。
でも、私は家族とはできるだけ離れようとした、休みの日はボランティアばかり参加した。
それなら誰も止めない。自分が愛情を注げる人がいて、喜んでくれる人がいて、私の存在を認めてくれて・・・ボランティアに行くことで癒された。
彼は、暴れている私に対して非難しかしなかったけど、そうしなくなった。
たぶんそれは、自分も体の具合の悪いときはイライラしたり、あせったりして余裕がなくなることを体験したからだと思う。
彼はいたって健康なのだけれでも、腰部椎間板ヘルニアになってしまっていた。安全だといわれながらも、失敗したら下半身不随。
半寝たきりの私がささえらるものではなかった。彼もそんな私をもてあましていた。
入院中、毎日通った。怒られながら通った。
最初は強がって見せなかった、弱さを見せるようになった。何年もかかってやっと見せてくれた。
気づいていたことだけど、本人が見せてくれるというのとは全然違う。
彼もそれに気づいた。
自殺を図ってしまった人、体のダメージも大きい。環境もまだ厳しいだろう。
でも、帰ってきたその人は、少し元気になっているみたい。返事からそう感じた。
環境要因がかなり大きいから、すぐにはよくならないかもしれないけど、すこしずつ元気になって言ってくれるといいな。
私には何もできないけど。。
タイトルを変更しました。
ある「うつ」のサイトで、こころのつぶやきというのがって・・・。なんか嫌。
とくに、そのサイトの文章には、著作権があり・・・云々を呼んでから余計に嫌。
そっからきてんじゃないわよ!といっても、人にとってはどうでもいいこと。
もう、「つぶやき」ではなくなってきているし!
もっと、しっくり来るのが浮かんだので変えました。
日記を書き始めて3ヶ月以上たちました。
その間大事にしていたタイトル。
心の支えにしていた、大切なタイトル。
でも、卒業します!
ありがとう、『心のつぶやき』・・・。
(かぶるのは嫌だったけど、なかなか利用価値ありのサイトでした。まだ、全部は見てないけど。。)
今日は、彼と自然に癒されてきました。
沢登、地元の人とおしゃべり、空から光がまり降りてくるように感じる蛍。
あぁ、私の帰ってくる場所は、こういうところ・・・。
と思ったけど、まだ帰るのは早いわよ!
やる気がいっぱい!
まだ、力みすぎてこけちゃうことが多いけど、頑張る!
寝たきりだったことからは考えられない復活。
でも、忘れてはいけない、“自分”を無視して倒れてしまった過去を。
「もっと、わがままに生きろよ!」周りに言われ続けたこと・・・。
上手に実現できるかしら?
追加
鬱で悩んでいる人の日記で、これから自殺すると書かれた後に動きがなくなってしまった人がいました。
頑張って治そうとしていて、お互いに頑張ろうね?みたいなサイトを作っている人だったから、かなりショックだった。
私自身、安定していたはずなのに、思い出してしまって調子が悪くなった。
こんな自分が励ましても、効果ないかも・・・と思いながら、毎日通った。
あんまり騒ぎすぎても逆効果だと思ったので、ちょっとずつ・・・。
その間、動揺していた私は、相互してくれていたみんなと離れたり、半年ぶりに暴れてしまったりした。
やっぱり、不安定で、まだ難病や精神病の影におびえている私では、何の役にも立たないんだ。もう、この人はほんとに自分の命を絶ってしまったのかも。とあきらめかけてしまっていた。
でも、今日返事があった!
生きていた!
よかった・・・。
内容には、ちょっとおどろしてしまった。パニックになって、大切な人を傷つけ、反撃にあい、自殺を図る・・・。同じだ。
うつで普段の様子からすると、どこにそんなパワーがあるの?ってくらいに暴れてしまう。
普段おとなしく、馬鹿みたいに献身的なだけに、された相手も驚いてパニックになる。手加減なし。
暴れる衝動が去った後、深い悲しみだけが残る。もうだれもいない。私いらない。実行・・・。
落ち着いているときには、とてもじゃないけどそんなことはできない。頭にきても、出来ない。にらむことさえ出来ない。
暴れるというスイッチが入るときは、頑張っていることを否定され、自分を否定され、自らも否定してしまって、絶望を感じてしまったときだ。
これで最後とばかりに、相手に嫌われることをする。
前は、ただただ暴れるだけ。自分がわからなくなる。ただ、衝動だけに駆られて動く“もの”と化す。
だけだったけど、この前のは、訴えることが出来た。彼もわかって、抑えるだけになった。
もう、長い付き合いになる。同棲する前から、すでに半同棲状態だったものね。
長かった。子供にも暴力を振るうのではないかと二人で心配し、責められていたけどそうじゃない。
暴れるからって、言うこときかない子どもに対してではない。私の母のように・・・。
私は母のようになるのが怖かった。「おいで」と手招きしておきながら、うっとうしいと殴る母にはなりたくなかった。
転勤が多く、実家にも遠くて、育児の相談相手のいない母親が陥りやすいものらしい。特に長子に対して。下の子は、上の子のときのが応用できるから・・・。
それを知ったとき、少し楽になった。
母は私を頼りにしていた。
老後はあんたに面倒を見てもらうつもりだから。が口癖のようだった。弟の世話も父が単身赴任となってからは、しなくなっていた。
というより、執着しながらも、向き合おうとしていなかった。いつも間に挟まれた。
家事もせず、仕事から帰ってからは寝てばかりだった。そんな母をみんな責めた。私もその一人だっただろう。
中学のときは、一時私だけ外に出た。高校のときに再び、一緒に住んだ。自炊が出来るようになっていたので、私がご飯を作るようになった。出来合いものばかりだと、子供が荒れるというテレビを見て、やろうと思ったのがきっかけ。その時、弟は登校拒否になりかけていたから・・・。
でも、私は家族とはできるだけ離れようとした、休みの日はボランティアばかり参加した。
それなら誰も止めない。自分が愛情を注げる人がいて、喜んでくれる人がいて、私の存在を認めてくれて・・・ボランティアに行くことで癒された。
彼は、暴れている私に対して非難しかしなかったけど、そうしなくなった。
たぶんそれは、自分も体の具合の悪いときはイライラしたり、あせったりして余裕がなくなることを体験したからだと思う。
彼はいたって健康なのだけれでも、腰部椎間板ヘルニアになってしまっていた。安全だといわれながらも、失敗したら下半身不随。
半寝たきりの私がささえらるものではなかった。彼もそんな私をもてあましていた。
入院中、毎日通った。怒られながら通った。
最初は強がって見せなかった、弱さを見せるようになった。何年もかかってやっと見せてくれた。
気づいていたことだけど、本人が見せてくれるというのとは全然違う。
彼もそれに気づいた。
自殺を図ってしまった人、体のダメージも大きい。環境もまだ厳しいだろう。
でも、帰ってきたその人は、少し元気になっているみたい。返事からそう感じた。
環境要因がかなり大きいから、すぐにはよくならないかもしれないけど、すこしずつ元気になって言ってくれるといいな。
私には何もできないけど。。
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