私は、目標地点を決めてしまったら、全力疾走でぶつかっていかないといけない子だった。
ちょっと、寄り道するのも嫌い。
人からほめられることが生きがい。

そうなったのは、母親からの愛情がほしかったから・・・。
結局、母からの愛情はお互いの密着度によって壊され、愛情として受け取れるものではなかった。母はそのことに気付きながらも、治せなかった。
本人も病気だったから。
まわりには、クッションとなってくれる大人がいなかったから。

感覚が麻痺し、心臓の鼓動までも消え去りそうになって初めて病院に行った。もう、限界です。

自分はいつもがんばっている、それをみんなが評価してくれ、認めてくれていた。だから・・・立ち止まるのがすごく怖かった。自分をすべて否定するような気がして怖かった。

薬を飲み始めてからも、学校に通っている間は、抗いつづけた。病気だってわかったのに。
病気だってわかってるくせして、あおる人がいたから。

何とか卒業できたたとき、これでストレスの原因ともおさらば。薬だってやめられると決めて、自分でやめた・・・。
結果、寝たきりの状態となり、彼との仲もうまくいかないほど、精神が不安定になり、自力では病院にいくことができなかった。でも、ほんのちょっと大丈夫なときがあった。その隙を見て、病院にいった。
そのときついた病名が、精神分裂病。

医者は、病名だけつげ、どういう状態なのか言わなかった。私は、自分の精神が分裂しちゃってて、人に聞こえないことがきこえたり、見えないものが見えると思うだけにとどまらず、自分を傷つけ続けた。
でも、ある日精神分裂病という病名が変わったと新聞にでているのを偶然発見した。ふだんは、ろくに読んでないのに、その記事だけは、私の目に飛び込んできた。
この記事を見つけたとき、さすがに運命を感じずにはいられなかったなぁ。

それからは、自分につけられた病名にかんすることを探しまくった。
家族は、私が病気であることを認めてくれない。自分で探すしかなかった。ときには、その病状を読んだだけで、ひどいうつ状態に入っていっていた。

でも、ずっと休んでいたのがよかったのか、病状はだいぶ安定して、一人で病院に行き、症状を訴えられるようになったと思えるほど回復した。自分自身で、病気だと自覚があったので、本の症状と比べると若干ではあるけれども、違和感を感じれたから。

病院を慎重に選び、病状を正直にいえた。
そしたら、かなり楽になった。症状を聞いたお医者さんは、私を強いねといってくれた。
そして、分裂病の症状はたくさんでているけど、分裂病ではないと・・・絶対治る病気だから、絶対に治すから。と先生が約束してくれた。
やっと、自分が病気であることと、いっぱいいっぱいがんばっていたことを確信できたときだった。これで休める・・・・そう思った。
薬を飲み始めてもうすこしで、1ヶ月がたとうとしている。頭の中はいまだにうるさいけど、幻覚がよくなった。妄想の症状もよくなった。
働くこともできている。結婚も無事にできた。
病気のことは、先生にすっかり任せていられる。よく話を聞いてくれる先生だから。

あぁ。今すごく幸せ・・・。

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