こないで

2003年6月19日
母はすっかり、産後の世話をしに来るつもりになっている・・・。
冗談じゃない。
病気の原因が世話しに来たりしたら、マタニティブルーが悪くなるじゃないか。
この際はっきり言うべきか?

決断は、それぞれの夫の状況ですることになっている。
だけど、それまでこの問題を保留にするのはつらい。

電話で生まれる頃に行くからといわれて、びっくりした。
すっかりあきらめてくれているものだと思っていたのに。
それに、家族のみならず、親戚さえ反対しているのになぜ来ようとする?
「迷惑だ」
そうはっきり言うしかないのかな?
普段あれだけ深読みしたがる人なのに、私の遠まわしの断りがまったく効かない。

要らぬ心配を抱えてしまった気がする・・・。

来て何をしようというんだ?
この狭い部屋で、少しの音がしただけで眠れない人が何を?
つわりのときに来られて、神経尖らせられて、こっちは迷惑してたんだぞ?
つわりの時期に、客としていろいろ要求してきた母親にはきて欲しくない。こりごり。

どうしたらいいんだろう。
せめて、産後一ヶ月はほっといてくれ・・・。

親子で話を・・・。

2003年6月14日
母と同じようになるのでは?
とずっとおびえていた。
でも、母がどういう状態であったか、自分も同じ病気になってしまって少しわかった。
子どもの頃はわからない話。

弟は、家出をした。
ほとんど絶縁状態と言ってもよかったんじゃなかろうか。
そんな弟も、最近は家族と話すようになっている。

親子でつらいじきだったんだよね。
できたら、つらいって言って欲しかったな。
病気だって教えて欲しかったな。
そしたら、もっと上手に耐えることができたのに。
しらずに責めて苦しめることも少なくなってたと思うに・・・。

悲しき習性

2003年6月13日
お留守番犬
そう呼ばれたことがあった。
付き合いの短い人に、なんだか、私の染み付いてしまった性質を言われているようで、悲しかった。


幼い頃から、永遠を捜し求めていたように思う。
ずっと変わらないでいてくれるものを。


私たち兄弟をペットとよんだ人
「おいで」
と手を広げられ、そばに行くと
「うっとうしいから近づくな、あっちにいけ」
と拒まれた。

「かわいいって言ってあげたいけど、できない」
あるときそういわれた。
たぶん、一番気持ちを言い表していたんじゃないかな?
何かあったとき、半狂乱と言っていい状態だったから、もう抑えることができないところまで来ていたんだろう。
父にも見せなかった母の顔。
その一面を、私の夫は「留守電」と言う形で聞いている。
誰も信じてくれなかったけど、実際聞いてしまうと否定の仕様がないものらしい。

あの恐ろしい声。もう二度と聞きたくない。
母の病気が悪化しませんように・・・。
頼っちゃいない人に、「甘えてくるな」って言われるのって腑に落ちない。
かといって、「あんたなんか頼ってない」とストレートにはいえない。
言わないから、甘えてるんだ捉えられるんだろうけど・・・。
私が頼っていると思い込んで、それを心の支えにされていたら、そんなこといえない。

血縁関係って、外に出ても続くものなのなんだろうな・・・。

ありがとう♪

2003年6月11日
私って、誕生日になんてタイトル書いてたんでしょうね・・・。
これまで一年半ぐらいここで日記をつづけいているけど、「誕生日おめでとう」に載ることを考えていませんでした。
登録者一覧の順番がどういう基準で並んでいるかも、未だ不明だし。うう。

本文でメッセージを送ると、私の変な日記に名前が残ってしまって悪いかなと思ったんだけど、メッセージをくれたお二人へのメッセージ。

《hanaさんへ》
hanaさん、おめでとうメッセージありがとう!
相互はしていないけど、登録してくれた人の日記は読ませてもらっています。
秘密メモを読むことができないので、?なところもありますが、いろいろ考えながら読ませてもらっています。
だから、相互にしてメッセージ書きたーい!って思うことも多々あります。私も影ながら応援してますよ!
 書いたことがあったかもしれないけど、今妊娠中です。わが子も、女の子のようです。
親戚や友人のいない土地での二人の子育て。
頼りない母親ですが、がんばっていこうと思っています。
あまりテーマが絞れない日記だけど、今はこの子と夫の生活から書いています。
メッセージありがとう。一人の女性としてみてもらえて、ホントにうれしかったです。

《遠菜さんへ》
だいぶ前になっちゃったけど、
うなづいてもらったこと、うれしかったです。


《秘密メモ、近況について》
秘密メモは、病院から逃亡中のため、自分でリハビリするために使っています。
相互にしている人のほとんどが活動停止状態だけど、読ませてしまっている人がいるとしたら、申し訳ない内容です。
本文とのギャップを感じるかもしれません。
「その後」を書くことがないので、何が起こっているのかわかりにくいですよね・・。
一時の逆上といってもいい状態で書いているときも・・・。
書くことで、視野が狭くなって危険な状態にあることがわかるし、ホントに今取り組まねばならないことがわかてくるので、病気が安定しています。
血液値も良好。病気は治りはしないけど、妊娠継続可能な範囲でおとなしくしてくれています。
妊娠は、私たち兄弟と両親との関係を考えたら、怖くてしょうがなかったんですが、今は落ち着いてきました。
産後うつが軽くすむよう、毎日すこしずつ環境を整えています。
病気になってみて、薬である程度持ち上げた後は、環境を改善したり、病気になりやすい性格を見直したりすることはとても大事だと思いながら生活しています。
精神科からは逃亡中だけど、疾患のほうの検査と妊婦健診だけはちゃんと行っています。

読んでくれたかた、ありがとうございました。
「読んでくれた人がいた」私はそれだけで救われます。

いつもは、気持ちマークは、内容が暗かろうが明るかろうが変えてなかったけど、今日はなんとなく喜びマーク。
誕生日おめでとう、私!

ありがとう

2003年6月9日
登録してくれてありがとう。
相互にすると、だんだん日記がかけなくなるタイプなので、相互できなくてごめんなさい。

書く原因である「現実で起こったこと」を、説明することがないので、意味不明な文が続く日記だと思います。
できるだけわかりやすくなるよう、リンク先のプロフに書いていこうと思います。
でも、自分で認めることができず、引きずっているものが多いので、なかなか進みません。
ごめんなさい。
読んでくれてうれしいです。
我慢して我慢して、爆発の勢いで訴えることが今まで多かった。
それだと
「何だよ今頃になって、何きれてんだ?」
と、周りには理解不能なことが多い。
「これだけ我慢したんだ。」
と言うのは無視したがる。それが誰のためであっても。限界であっても。
「そんなの、お前が優越感でそうしてたんだろ?黙ってろよ。押し付けるなよ。」
とは言わないが
「嫌だったらいやっていえばいいじゃないか。直したのに」
と言い逃れをするだけで、何も変わらない。
悪かったなんて思わない。これさえいっとけば許されると思っている。
「ごめん」なんて、なんて便利な言葉だろう。

我慢するよう、波風たたさぬよう育てられてきた結果がこうだ。
自分がどれだけその人のことを考えて行動していたかなんて、そうやって白を切る人間には何の効果もない。
もともと、人のことで考えることなんて考えがないから、人の気持ちなんて想像できないんだろう。
だから、人を痛めつけることを知らないでやってのける。

我慢することに労力を使うのは無駄になることが多い。
とくに、人の気持ちがわからないやつに対して、がんばるのことは・・・。
やつから視点をずらし、すこしでも悲鳴を上げなければならない。
「卑怯だ!」なんてそいつが言っても、それは向こうのいつもの作戦だから乗ってはいけない。そうやって、人に押し付けて生きてきたんだから。
断固拒否。
そうじゃないと、次も狙われる。

「こういう嫌な芽が出ている。」
とだけ、小さく叫んでおけばいい。
そうすれば、大きくなったときの対処がしやすい。小さい芽のときに、大騒ぎしてはいけない。
気づいたらそうだったのね。ということでは、回りも対処しにくい。問題を起こす人間のほうが、はるかに立ち回りが上手だ。どんな汚い手を使っても逃げ切る。

視線を合わせない。
これが一番。
危険を感じたら逃げる。後ろから襲われるのが怖くても、逃げる。
「逃げる」
嫌なことだけど、自分のキャパシティ超えたときには即逃げろ。

2003年5月30日
近所づきあいはめんどくさい。

今住んでいるところは、挨拶はするけど、誰一人引越しの挨拶に来ない。
隣が何をしている人かもわからない。

前、隣に住んでいた人はほとんど部屋にいない人だった。
最初こそ
「一年中エアコンが動いていて変な人・・・。こんなに涼しいのに、なんであけないんだろう?室外機がうるさくて、こっちも窓開けられない。電気代かかってしょうがないだろうに。変なの。」
と、印象は悪かった。情報がなく、つながりのない人間に対しては、些細なことが好き嫌いの材料になる。
でも、室外機は止まり、次第に家に帰らなくなり、顔も見たことないまま去っていった。
静かでよかったのになぁ。
と惜しく思う。

以前住んでいたところでは、怖い家族が住んでいた。
お父さんは声が大きく、愛想がいいこというんだけど、目にはいつも表情がなく、近寄りたくなかった。
おかあさんは、すらっとしててモデルみたい。
ほかの住人と楽しそうに会話する夫婦。
だけど、その子どもたちは・・・。
無表情だった。
泣き叫んで声ががらがらだった。
時々、罵声とドンっという大きな音。
私が暑くて玄関を開けっ放しにしているとき、子どもが玄関に入っていたりした。
話しかけても反応がない子。
なぜ黙って人の家に入るのか?
なにか言いたいのか?
隣で大きな音がするたび、私はおびえた。
証拠がないから何もできない。
そこでは私は新参者で、話をする人がいなかった。もし、誰かに相談していたら、なにかできただろうか?
音がするたび、警察に電話しようかと悩んだ。

罵声はいつもお父さん。
いじめるようにして子どもと遊ぶ。妻が大好きらしく、子どものように一緒にいた。

あんなに薄い壁で、筒抜けでも、家庭というのは密室に近いんだろうか?
私以外、あの家族に疑問を抱くことはなかったんだろうか?

あのときは、勘違いであった場合、反対に訴えられると聞いていて、何もできなかった。
確かに、安易に通報していいものではないけど・・・。もし、感じたとおりのことが起こっていたら?

顔が見られない

2003年5月27日
疲れすぎると、人の顔が見られなくなります。
別にやましいことがあるわけではありません。

人の顔をじろじろ見る人もいるけど、みない人、目を合わせたがらない人もいます。
じろじろ見る人は、自信がある人のことが多いかな?
顔が見られないときの私の行動は、目立っているでしょうか?

私は人の目をみて話すのが基本になっていますが、その方が珍しいんじゃないだろうかと最近思うことがあります。
顔を見て、その人の気持ちを気づくことが多くなってしまうから、疲れるのかもしれない。
人の気持ちを無視してしまう人は、見る習慣がなくて気づかないのかもしれない。
気づいて無視することのほうが、しんどい時だってあるもの。
みんながみんな、無視しているわけじゃない。
これだけ不特定多数の人と接するようなところにいると、それも仕方のないことなのかも?
田舎とは違うんだ。


何が解決したってわけでもないけど、なんだかもっとボーっとしてもいいような気がしてきました。
人の顔をみるとき、目を見るとき、自分の顔を作ります。
いつもいつも、私は気持ちを隠して固い仮面を作り続けていたんだ。
よっぽどじゃない限り、他人が何かしてくることはない。
自分の受け止め方、捉え方で、勝手に疲れていただけかもしれない。

現に、心の中で相手に手紙やメッセージを考えてみることが多いのに、伝えてない。かってに、あきらめてしまう。
「相手がこう思うだろう」は相手が思ってことじゃない。
経験や本で読んだ知識から来ているだけ。
顔を作り、発する言葉を自分のなかでこねくり回している間、私はかなり損をしている。きっと、そう。
とびだす元気はないけど、チャンスがあれば思い切ったことも必要なのかな?
世界を狭くしているのは自分?
疲れやすい自分。

困った妻

2003年5月26日
体の不調は重くなると、心の不調にもつながる。

疲れがたまって、体の緊張がとけずにストレスもたまる一方だった。
そんなときは、また無表情で人に反応ができない私になる。
嫌いになったわけじゃない。
でも、愛想良くできない。

夫にも触って欲しくなくなる。
そんな自分がいやで、やさしく「大丈夫?」となでてくれた手を払ってしまうことがある。
時には、なでられただけでよくなるときもあるけど、重く沈んでしまってからは、休まない限り無理だ。
そっとして、無表情のままいさせて欲しい。
負の感情しか動かないから、触れないで欲しい。
「どっかいってる」そういう時は、呼び戻さないといけないときもある。
でも、ホッといても戻ってくるときがある。
他人からじゃわかりにくいよね。
困った妻です。

さみしくない

2003年5月25日
常に付きまとっていた、 さみしい という感覚。
何が寂しいというわけでもなく、ただ漠然とそういうため息が出ていた。

毎日学校にかよい、たくさんの人に囲まれて生活していた。
それでも、いつも寂しかった。
いつも誰かを探してた。

誰かを見つければ寂しくない?

夫との同棲生活でも、それは変わらず、焦りばかりが積もっていく毎日だった。
将来の可能性を考えては、準備しなければとあせった。
結婚したての頃にはそれが悪化し、何も考えられなくなり、逆に動きが取れなくなってしまった。

何が変わったんだろう?何が私を寂しさから解き放ってくれたんだろう?
いつのまにか・・・、そういつの間にか。
さびしい さびしい とさまよっていた自分が、落ち着き始め、地に足が着いたような安心感が得られるようになった。

夫の存在?赤ちゃんのおかげ?それとも足元でうずくまって寝ているこの子?

そばにいてくれるものがいる安心感。

道から外れたと嘆く日もあったけど、自分が目指していた道から遠く離れた今、いこじになってしがみついていた頃より、幸せを感じられていると思う。

ゆっくりかわる

2003年5月21日
疲れやすいのは、徐々に改善していかなければいけないことだけど、悪化させることなく順調な妊娠生活。
新しい友達はできていないけど、二人でいる、親子三人でいるという感覚のせいか、さみしくない。
それに、遠くに離れていてもメールのやり取りができるから。

今度、母親学級に行ってみるけど、どんなかんじなのかな?
参加者は、定員の半分にも満たないよう・・・。
でも、人数が少ない分話しやすいかも?

あせらなくなったと思う。
このぐらいのんびりが、私にはちょうどいいんだろうな。

今日の日記

2003年5月14日
最近は、体調の波の間隔が狭い。
寝転がって休んでいるときは、くだらないことを考えがち。
そんなときにメールを書くと、とても長くなってしまう。
1日、2日は寝かせておかなかないととても送れない。

回復

2003年5月13日
あの頭痛は何だったの?
と思うくらいに、今日は調子がいい。
たまっていたメールも返事をすることができた。
なんで、あんなに書けないときがあるのかな?
頭の中がぐるぐるしちゃって、まとまらないのがいけないんだけど、もうちょっとすっきりしたい。
そしたら新しいことができて、人ともっと接触できるのに・・・。

頭痛が治ったせいか、困ったセールスの電話もスパッと対応できた。
ドジなセールスマンにもムカつかなかった。
いつもは振り回されて、しばらく気分が悪いのに、今日はそうじゃない。
ちょっとは進歩があるのかな?

力が入らない

2003年5月12日
眠れると安心していたのに、悪夢にうなされることがある。
昨日は、頭痛がしてじっとしていられなかった。
一時、煙にまかれたように視界がかすんでいたし、めまいもしていたから、体に何か起こっているのかもしれない。

今朝も不快な痛みがあっておきることができなかった。
寝ながら夫を見送った。
ご飯作るって約束していたのにごめんね。

人と合うのにとても気合を入れていかないと、すぐに壊れてしまう。今日も、荷物が届くのをドキドキして待ってしまっていた。どうしてこんなに緊張してしまうんだろう?

夫は自分で選んだ人で、どんどんなじんでいっているんだけど、新しくできた家族とはどうなんだろうか?
お腹の子は今からかわいくてしょうがないけど、お義母さんやお義父さんとは仲良くやっていけるだろうか?二人ともよくしてくれているのに、こんなことを思ってしまっては申し訳ないとは思うんだけど・・・。生活の違いは乗り越えられるものなのかな?
私があわせなくてはいけないものだと思うけど、持つだろうか?
一緒に暮らすのを楽しみにしつつも、夫婦でいられる部屋が空間がないのには、まいってしまう。
できることなら、ちょっとした離れがほしいところ。

仕事がきついわけでもないけれど、すぐに仕事をやめることを考える夫。
確かにやめても家に帰って仕事はできるよ。
でも、家の収入としては減ってしまうし、ただ、家に甘えるだけになってしまうよ。
「帰って来い」って言われるその日まで、一緒にがんばろうよ。

ママ友

2003年5月11日
ここに移り住んで、短期のバイトしかしてこなかったので、友達がいない。
就職はとても無理な状態だったから、何かほかの方法で知り合いを作りたいと探していた。
でも、結局今日まで友達どころか、知り合いもほとんどいない状態だ。

妊娠したら、妊婦友達ができるだろうかと期待していたものの、未だその機会が得られずにいる。
母親学級は、長い講習で終わってしまい、疲れた受講者は何を話すでもなく、みんなさっさと帰ってしまった。始まる前の雰囲気も、とても話ができるようなものではなかったし・・・。
友達できるのかな?

離れたところに住んでいる友達とは時々会うし、遊んだりもする。旅行にいったりもする。
それで十分なのかな?

暇をもてあましているわけでもないし、特に妊婦と話したい内容があるわけではない。
一人、メルトモがいるので、それで十分心が満たされているといっていいのかな?
メールのペースもお互いのんびりペースで、内容も結構好き。

メールだけでは、相手に何かあったときに、「順調だよ」のメールは傷つくんじゃないかな?という心配がいつもあって怖かったりする。でも、お互いに順調であれば、喜びも膨らむんだよね。
あって話せる人がいたらいいなとは思うけど、どうなのかな?
体調にも気分にもむらがあるし、服は持ってなくて恥ずかしいしで、ちょっと出かけるのには抵抗がある。だから、近所で、友達を募集している人を見つけても、なかなかチャレンジできない。
病院で「隣に座っていたので話している」という感じの人がいたけど、あわない人だった場合、ドキドキして待っている間には困るなと思ってしまうことをしばしば目撃してしまう。待ち時間は長いけど、赤ちゃんの胎動感じながら待つのって楽しかったりする。
相手がどのような状態かわからないので、気軽に話しかけたりはできない。
何か心配事があるときには、初めてのことだらけの私なんか役に立たないだろう。

「催しものにはどんどん参加して機会を作り、そのなかで顔見知りができたら、ラッキーだ」ぐらいに考えて待ってた方がいいのかな?
どうしても欲しくなったら、その勢いで何かできるだろう。今は、その元気がないから、のほほんと待つことにしよう。
あせってじたばたしてもダメだよね?

熟睡

2003年5月8日
まだ、ここ二日というところだけど、ぐっすり寝たと思えるような睡眠が取れている。
たいした運動もしていないのに、ぐっすりと眠ることができる。
きっと、連休でストレスを発散でき、リラックスできるようになったからじゃないかな?
薬を飲んだわけじゃないし。

今日したことは、お金を下ろしにお店に行ったくらいだ。でも、もう睡魔がやってきている。
妊娠のせいなのかな?

疲れているのに寝付けない日が続いていたので、これはいよいよ精神科に行かなきゃ行けないだろうかと心配だった。よかった・・・。
今までいった病院は、どうも合わないから行きたくない。
ほかの病気も、精神に影響を及ぼしているのに、ちっとも考慮してくれないもの。
「壊れている」「治ることはない」という扱い。ストレスはたまるばかりだ。

楽しいひと時は、何よりの良薬?

小心者

2003年5月7日
くだらないことをいつまでも気にしてしまう癖がある。
だいぶ気分転換が上手になったけど、まだまだ下手だなぁ。

150円値引きされるカードを使ったのに、値引きされなかった。ただそれだけのことを、ここ2日思い出しては心配している。
電話代かけて電話するのもばかばかしいこと、今度づぎのカードを使う時に言うしかないのに・・・、どうやって言おうかといろいろ考えてしまう。
そんなことに時間をとってどうするんだろう。
今考えてもしょうがないことを、考えるのはやめなきゃ、今やらなきゃいけないことがおろそかになる。

忘れることはできないから、どこかに一時保管しときたい。
何かいい方法はないかな?


それに・・・。
未だに自分が人に与える悪影響を考えてしまう。
私にはそんなに影響力なんてないくせに。

長い目で見る

2003年5月6日
妊娠して、なぜか明るくなってきた私。
きっと、生きがいができてきたからじゃないかな?
仕事もできず、何かに所属することもできなかったから、必死に暇つぶしをしていたようなもんだった。
誰かをうらやむ自分が嫌いだった。
病気のことを理解して、少しでもよくなるようにしてたけど、やっぱり、事態が変わらないことには治らないもんだなぁ。

将来のためにといろいろ考えては、やろうとして失敗して、よれよれになって・・・。
結局、「大学は行っただけ」って言われてもしょうがない状態になってしまった。
自分では、大学にいったことは意味があったと思うけど、就職して働かねば意味がないと考える人には、わかってもらえないだろうな。

結婚してしばらくは後悔の毎日で、たいしたことじゃなくても、すぐに自殺することを考えていた。
自殺というよりは、消えることを考えていたといったほうがいいんだろうか?
体が健康であっても、自殺を考えるというのは、やはり病気って言っていいんじゃないかな?
私のは、体から始まったんだろうか?それとも心から?
いまはなんで、死のうとか、自分を傷つけるようなことをしなくなったんだろうか?
もう、正社員で働くなんてことは、夢のまた夢の状態になったのに。
人生に失敗したって人は言うかもしれないけど、私はこの子に助けられたんだなぁとおもう。
そして、いつも私の存在を求めてくれる彼もまた、私を救ってくれたんだよね。

病気の波はまたやってくるかも知れないけど、人生はもっと長く見ないといけないんだろう。
あまりにも、あせりすぎていたように思う。
これからは、子どもの成長という時間の流れはあるけど、私が追われていた“タイムリミット”はなくなった。私のペースってとてもゆっくり。

病気の人がいるとき、どういうことが効いたよという話をする。
私自身、そうしてもらったことにはとても感謝していたので、誰かのためになりそうな情報があったら、伝えたいと思っていた。
実際に、そうしてきたけれども、その効果ってきっと微々たる物なんだろうな。
結局、私は何もできないのかな?
痛みが伝わってきても、何もできないままなのかな?

愛して欲しい

2003年4月29日
久しぶりに、強く願った。
私が、幼い頃に強く願っていたこと。

母は、今でもよくわからないんだけど、自分の子どもが「かわいい」とは思えないらしい。
ホントは、少しは思っているのかもしれない。でも、本人が言っていたのだからしょうがない。
「言うこと聞かなくて、憎たらしい。」
そんな存在にしかとらえてもらえなかった。
言うとおりにしているときは、何か外れたことをするんじゃないかと、常に監視して、レールをせっせと構築していっていた。
目の前のわが子より、見えない将来に振り回されていたね。
おかげで、お互いに苦しんだ。

母の努力が母の愛情というのなら、それはそうかもしれない。
わたしたち兄弟にとって、それは重荷になるものでしかなかった。
「今の自分」をもっとみて、接して欲しかった。

母のようになるのが怖くて、母親になるのが怖かった。
実際に妊娠してみると、そんなこともなく少し安心できた。

「愛して欲しい」
久しぶりにそう思ったのは、夫にお腹の子にもっと愛情を持って欲しいと思ったから。
一人で育てるの?
そう思うと、たまらなくなった。
自分の趣味に没頭する時間も大切だけど、もう、二人だけの生活じゃないの。
お腹をけられることもなく、見ることもできないわが子だから、愛情を感じられなくてもしょうがないことだけど。
もう少し、大きくなっていく胸ではなく、お腹に興味を持って欲しい。

私の父のように、亭主関白でありつつも、存在感のない父親になって欲しくない。

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